明日死んじゃってもいいように準備をしておこう

2年半もブログを更新し続けていると、自分が書いた記事のことをすっかり忘れてしまって全く同じようなことを書いてしまったり、自分が前に書いた記事を読んで「ハッ」としたりすることがあります。

定年退職後に豊かに暮らすには年金含めて1億円ないとダメ、みたいなことが言われているけど、80歳を超えて豊かに暮らしたいだろうか?
国内旅行や海外旅行に行き、豪華な食事をして、モノに囲まれて生活したいだろうか?

否。

80歳を超えたら、身体は思うように動かず、豪華な食事よりは質素な食事をするだろうし、病気になって食べたいモノを食べられないかもしれない。

80歳を超えたら、「もういつ死んでもいいや」と思うのではないだろうか。
または、そうなっていたい、と僕は思うのだ。
「好きなように生きてきたんだし、運よく孫の顔でも見られたら万々歳です」という生き方をしたいのだ。

後悔なしで死にたい

うーん、なかなかいいことを書いてるぢゃないか。(^^;)

この記事の後半にはこんなことも書いていました。

僕は、動けないような病気になってしまったら治療などせずに、尊厳死させてもらいたい。
自分が病気になって自分が自分でなくなってしまったら、尊厳死を認めて欲しい。
家族に「殺してくれ」と言っているようなものだから、家族は辛くて出来ないだろうとは思う。
でも、それが僕の幸せなのだ。

●自分が自分でなくなってしまったなら死なせてほしい
●延命治療はしないでほしい
●脳死時や死後には臓器提供をしたい
●お葬式はこんな風にしてほしい

生きている間に言うのは簡単ですが、何かのカタチにしておかなければ、家族が僕の意思を尊重することは難しく、周囲の意見に押し切られてしまうでしょう。

FPの勉強をしていたので「遺言」のことには詳しくなりましたが、「遺言」は自分の財産をどう分けるかについて書くものだと考えます。

自分が死んだらこうしてほしいとか、銀行や証券会社や保険の情報とか、へそくりの隠し場所(^^;)、スケベな画像は探さないでほしい(^^;)などの情報、は「遺書」「エンディングノート」に書くべきと考えます。

エンディングノートを書いたはいいけど保管場所をどうするか?が悩ましいのですが、妻や子供にしかアクセスできないような方法を考えないといけませんね。
とりあえずは「エンディングノートを書いたから、死んだら探してね。保管場所のヒントは・・・。」と言っておけば、きっと探してくれるでしょう。

明日死んじゃってもいいようにちゃんと準備しておけば、僕はもっと軽やかに生きていけるんじゃないかなと思うのです。(^^)

   
 

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