「自分へのごほうびなんていらない」という記事に「時間をお金で買う」ということをちょこっと書きました。
自分で書いておいて何なのですが、僕の中でその言葉が引っかかっていました。
ちょっと考えてみます。
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会社に勤めて働いていたときは、自由な時間が少なかったです。
なので、時間を得るために、お金を使うことがありました。
例えば、
・歩くと時間がかかるから、タクシーに乗る
・各駅の電車で間に合うけど速いから、特急電車に乗る
・帰るのが遅くなって往復する時間がもったいないから、ホテルに泊まる
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お金で時間を買う、と考えると、こんなことも思い浮かびます。
・近いけど歩いたり自転車だと時間がかかるので、タクシーに乗る
・料理をする時間がないので、外食をする
(外食には自分では作れないものを食べられるという意味もありますが)
・掃除をする時間がないので、ハウスクリーニングを頼む
・育児をする時間がないので、ベビーシッターを頼む
時間が無いからという理由だけではないかもしれませんが、結局はお金で時間を買っていることになります。
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もし、時間が十分にあるならば、それらをお金で買う必要はありません。
逆に言えば、散歩やサイクリング、料理や掃除や育児は、それ自体が楽しいことでもあるので、時間をかけてゆっくりやれば楽しくて、趣味や生きがいにさえなることもあります。
自分の時間に余裕が無いから、本来は楽しいことなのに、「時間のかかる面倒なこと」や「他の人に頼むこと」に変わってしまっているような気がします。
これって、何かおかしいです。
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時間を拘束されて働くことを、生きていくためのお金を得るため、と仮定します。
そう考えると、生きていくためのお金を稼げれば、あとの時間は自由です。
でも、お金で時間を買っていると、時間を買うためのお金の分も働かなければなりません。
本来は働かなくてもよい時間に働かなくてはなりません。
こんな矛盾が続いているような気がします。
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必要なお金が少なければ、働く時間は減って、自由な時間が増えます。
自由な時間が増えれば、お金を払って時間を買う必要がなくなります。
うーん、、ちょっとチャートにしてみます。
生きていくために必要なお金を少なくする
↓
働く時間を減らすことができる
↓
自由な時間が増える
↓
お金を払って時間を買う必要が少なくなる
↓
お金が貯まる
↓
生きていくために必要なお金がもっと少なくなる
↓
働く時間をもっと減らすことができる
↓
もっと自由な時間が増える
↓
お金を払って時間を買う必要がもっと少なくなる
↓
お金がもっと貯まる
↓
生きていくために必要なお金は貯まっている
↓
働く必要がない
↓
自由な時間だけになる
↓
時間は買わない
↓
貯まったお金で死ぬまで豊かな気持ちで暮らす
うまくこんな流れにならないのは、どうしてなんだろう?
もう少し考えてみます。
コメント
会社員のように定期的にお金が入ってくるようになると
お金を使うことへの抵抗が希薄になるようです
会社で山ほど時間を費やして労働しているのに
ほんの少しの時間を買うようになります
それが習慣化するから、結局 働けるまで働くことになる
いつも何かに追い立てられているかのようです
消費しないピノキオさん、コメントありがとうございます。
>いつも何かに追い立てられているかのようです
そうなんですよね。おかしな悪循環が続いてしまっていますよね。
おかしな習慣を見直すべきなんでしょうね。
>もし、時間が十分にあるならば、それらをお金で買う必要はありません。
>逆に言えば、散歩やサイクリング、料理や掃除や育児は、
>それ自体が楽しいことでもあるので、時間をかけてゆっくりやれば楽しくて、
>趣味や生きがいにさえなることもあります。
正吉さんご無沙汰しております。
この意見とても同意します。
私も仕事していた時には、
わざわざ歩いて行ったり、自転車で行ったりすることは
まったくなかったのに、今は、時間があり余ってるので、
のんびりゆったり歩いたり、自転車で移動することを好んでします。
ゆったりした時間を過ごすのって気持ちがいいですもんね!
もし働き続けていたら
こんな気持ちになる余裕すらなかったんでしょうね。
freeflyfisherさん、コメントありがとうございます。
そうか!
ゆったりした時間を過ごす気持ちの良さを知るには、ゆったりした時間を過ごす余裕が必要ですね。
うーん。どっちが最初なんだ?
消費することにはもう飽きましたね。
時間もゆっくり流れて自分のペースで動いているぶんにはお金がかかりません。
招き猫の右手さん、コメントありがとうございます。
多くのお金を必要としない自分のペースを作ってしまえば(作れていれば)、多くのお金は必要ありませんね。
うーん。これもどっちが最初なんだ?
最後のチャートはまったくその通りだと思います。
>うまくこんな流れにならないのは、どうしてなんだろう?
>もう少し考えてみます。
みんながみんなそう思っていないからなんでしょうね。
家族全員がこういう思いでいられれば、
きっと穏やかに暮らしていけるのだと思います。
今の日本のスタンダード(国も勧めていますよね)
働く時間を増やす
↓
(自由な時間は減るが)使えるお金が増える
↓
(お金は貯まらないが)消費が楽しい
↓
お金がもっと欲しくなる
↓
死ぬまで働く
といったところでしょうか。
セミリタイヤブログ界隈の方々には
何のことやら、といったところでしょうが。
ひで坊さん、コメントありがとうございます。
もっとお金を使いたい、っていう人は少なくなってるような気がしているのですけどねぇ。気のせいなのでしょうか?
> セミリタイヤブログ界隈の方々には
> 何のことやら、といったところでしょうが。
この言葉の真意がよくわからないのですが、セミリタイヤブログ界隈の方々は、時間とお金に真剣に向き合っている方がとても多いですよ。(^^)
> セミリタイヤブログ界隈の方々には
> 何のことやら、といったところでしょうが。
この言葉の真意がよくわからないのですが、セミリタイヤブログ界隈の方々は、時間とお金に真剣に向き合っている方がとても多いですよ。(^^)
私の表現力不足ですいません。。。。
セミリタイヤブログ界隈の方々は
時間とお金の価値を十分にわかっているので
国が勧める様な、たくさん働いて、たくさん消費するなんて考え方は
当然しない(何のことやら)という意味です。
ひで坊さん、コメントありがとうございます。
あ、そういうことだったですね。ひで坊さんが誤解してるなんておかしいな、とは思ったんです。失礼しました。m(_ _)m
>生きていくために必要なお金を少なくする
最初のこれに早く気付くことですかね、35年のマイホームローンとか、車のローン
とか、重なっちゃうとなかなか次の→働く時間を減らすことができにくくなりますから。
MUDMANさん、コメントありがとうございます。
コメレスが遅くなっちゃってゴメンなさい。
そうですよね。大きな買い物をするときに、どのようにお金を使うかをよーく考えることですよね。
大きなローンを抱えちゃうと身動きがとれなくなって、思考停止しちゃうんじゃないかな。
お疲れさまです。正吉さん。
僕も、「消費」の為の「人生の切売」に疲れています。
10年程前に中古の家を購入し、セルフリフォームして住んでいますが
普通のサラリーマンが、あたりまえに数十年からのローンと言う、自分の人生と交換に「家」という耐久消費財を得るのに対し、僕は自ら楽しみながら、最小限の「切売」で得ることができました。
その時考えたのは、
■サラリーマンは「結婚」「子供」「家」「車」を得る為に働いているのか?
どうしたって、サラリーマンのサラリーは、コノ4つの割合は高いです。
僕も同様です。
しかしその為には、自分の人生を「お金」に一度変換しなければならない「ロス」が有ります。
住宅ローンの金利の高さを知った時、コノ「ロス」が僕の人生を圧迫するのを感じました。
※住宅ローンは使いませんでしたが・・・
僕が今感じている「生きづらさ」は、この「社会の仕組み」と「価値観」の中で感じる、僕にとっての「ロス」なのかもしれません。
考えがまとまらないまま、書きなぐってしまい、とりとめの無い文章でスミマセン。
白馬47さん、コメントありがとうございます。
お金をどう使うかを、自分自身の価値観と照らし合わせて、自分でよく考えないと「ロス」が大きくなりそうですよね。
「中古の家を購入し、セルフリフォームして住む」この話、すごく興味があります。ブログで公開してください。(^^)