「早期退職してラクができたら、本当に幸せか?」(2)

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(前回からの続きです)

今の僕(2014年2月16日時点)がこの記事を読んで感じたことを書いておきます。

■「30~40代の働き盛りのビジネスパーソンが憧れるのは、どうやら自由のようです。」

まずは、この文章の始まりが気に入りません。

「どうやら自由のようです」
何それ?自由に憧れるのは当たり前でしょ?
「自分はもう自由なんだけど、オレ以下の下々のモノもそう思ってるみたいよ」的な上から目線が気に入りません。(これは僕のヒガミですね、たぶん・・)

■「現実には自分の好きな仕事だけを選んで、生活できるおカネを稼げるのは、極めて限られた人だけです。」

確かにそうなんだと思います。誰もがノマドになれるわけもなく、勘違いして「オレはノマドになったぞ!」と宣言した後で、うまくいかなくなって再就職をすることになるかもしれません。僕もその状態をとても危惧しています。

■「ノマドで自由を獲得するには、自分にしかできない圧倒的な強みのあるスキルや能力が必要です。しかも、それを維持する覚悟が必要です。単なる憧れで始めてみても、そんなに甘いものではないことが分かると思います。」

だから、しがみついてでもサラリーマン・会社員のポジションを守りなさい、と言っているのでしょうか?
ノマドや自由を目指すことなんて甘いことを言っていないで今の仕事をがんばりなさいよ、と言っているのでしょうか?
今の仕事の将来に不安がある人、今の仕事に不満が出てきている人にも、我慢して続けることが「将来的にも正解」って言い切れるのでしょうか?

■「また、ノマドライフに憧れている人の中には、本当に自分のやりたいことがある訳ではなく、単に目の前にある現実からの逃避になってしまっているケースもあると思います。」

逃避の何がイケナイのでしょうか?逃避してはいけないのでしょうか?
自分の命、自分の尊厳、を守るために、とりあえず今は逃げてしまおう、と思うことの何がいけないのか?と思います。
目の前にある大きな問題に立ち向かって、それでも結局どうにもならなくて、自ら死を選んでしまった人だって、たくさんいると思うのです。
その人たちに、それでも逃げちゃダメだよ、って言い切れるのでしょうか?

■「引退して悠々自適の年配の方が、会社の後輩から仕事のアドバイスを求められ、喜々としてサポートしていたりするのを見ていて思うのは、人が生きていることに充実感を覚えるのは、自分が周囲の人に必要とされ、生かされているときです。それを実現する手段の1つが仕事なのです。」

必要とされてサポートをすることで充実感を感じる、という言葉は僕にとっても、すごくしっくりきます。
でも、それが会社員の仕事である必要があるのでしょうか?
今の自分に合った仕事をしたり、自分の子供に体験談を語ったり、伝えるべきことを伝えたり、地域の中でボランティアに携わったり、地域の役に携わったりすることだって、十分に充実感を感じられると思います。
また、そういった「仕事」は、会社員やサラリーマンとして働いていたら とても時間的な余裕が無くて活動すらできないことでもあります。今しかできないことへの後悔を考えなくても良いのでしょうか?

■「口当たりのよいプランに乗ってはいけません。」

「口当たりのよいプラン」って何だろうか?
「オレはもうリタイアしちゃったからさ。お前も早くリタイアしてノマドライフしなよ、な?」なんてことを言いふらしている人がいるということなのでしょうか?また、20代の若者ならともかく、会社員として働いてきた30~40代の人が、大して考えもせずにそんな口車に乗ると思っているのでしょうか?

■「3年後ではなく、30年後を見据えて行動すべきです。」

30年後の自分がどうなっているかを、本当に見据えられているのでしょうか?
想像はできても、明確に見据えられている人なんてほとんどいないと思います。

以上、言葉尻を捕らえて、嫌味やヒガミを言っているような気もします。

内藤忍さんは、単に「もっと考えてから行動した方がいいよ」とアドバイスをしてくれているだけかもしれません。

「以前とは変わってきた今の僕の考え」を正当化したいから、こんなひねくれたような意見を僕は書いてしまうのかもしれません。

しかし、
現実を見るのも大事ですが、自分が本当にやりたいことが見えているのなら、ネガティブな面ばかり見ないで、後悔の無いように生きるべきだと思います。

僕はそう考えます。

   
 

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