「誰もが自由を望んでいると思い込んでいた」にいただいたコメントへの返信

「誰もが自由を望んでいると思い込んでいた」の記事にたくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

記事中、言葉が足りなかったのですが、僕が一番ショックだったのは、僕の友達が「そんなに自由を欲していない」ということでした。
「レールに乗るから、運んで行ってもらいたい」と望んでいるような印象を受けたことがショックだったのです。

このブログでは「自由」がテーマになっています。
そもそも「自由」って何なの?という記事もいくつか書いています。
「自由」の定義って何だろう?
再考 「自由っていったいなんだ?」

記事中、僕の友達が「どうせ、完全な自由なんて手に入らないんだから、自由なんていらない」と言ったことを書きましたが、「完全な自由」が何を指すかは、「自由」の定義にもよるんだろうなと思います。

『自分勝手で自己満足な自由』という言葉も書きました。
逆に『自分勝手でも自己満足でもない自由』ってあるのかな?ということもコメント返信しながら考えたいと思います。

招き猫の右手さん より:

完全な自由は確かに無いですね、何かのしがらみは絶対あるから。
ただし、完全な自由である必要があるんですかね。
完全でなくても、ほぼほぼ自由、の状態が欲しい、というのもアリです。
子どもが居ると居ないではかなり判断が違ってきそうですね。

確かにそう思います。
100%じゃないなら0でいい、ってのも何かおかしいですもんね。
完全な自由って、一人で他人と関わらない生活をしなければ得られないんじゃないかな、と思いました。

クロスパールさん より:

”自分勝手な自由”以外ってあるのかな? 何かをしようとすると誰かが反対や良い気持ちにならないわけで何をしても自分勝手になるんじゃないでしょうか?

『自分勝手じゃない自由』。確かに無いかも。
一人で他人と関わらない生活をしている身寄りの全く無い人、って現実的じゃありませんね。それにあまり「自由」って感じじゃないな。(^^;)

観楓さん より:

現実の世界で完全・完璧なものってまず無いですよね。

何かをする・しないを選択するにしても、完全に満足な状態になることなどまず無く、大抵メリット・デメリットを兼ね備えたグレーな状態に落ち着きます。

完全でないから、グレーはいやだからその選択をしないというのも1つの決断ですが、それは欲しているものを諦めるときの言い訳、思考停止の理由として使われがちです。

どちらを選ぶかは結局その人が決めるしか有りませんが、グレーの中で最善(と思われる)状態を目指す生き方も有りだと個人的には思います。

僕が友達に言ってあげたっかたのは、この言葉ですね。酔っていたから(酔ってなくても?)出てこなかったです。(^^;)
(自由は欲しいけど、中途半端な自由なら今と変わらないからいいや)、と思ってしまったら思考停止しちゃいますもんね。
今の生き方に満足ならば、僕も何も言わないんですけどね。
(僕の友達は、酔うと愚痴っぽいから、ついついいろいろ言いたくなっちゃう)(^^;)

消費しないピノキオさん より:

正吉さんのエントリーを拝見して
自由のこと、いろいろ考えてみました
長くなったのでエントリーにしてみました
良かったら読んでみて下さい

「求めているのは自分勝手で自己満足な自由なんです」
アンサー・エントリーをありがとうございます。読ませていただきました。

まず、
> 正吉さんのエントリーに書かれている 友人の言葉
> 「自分の自由を押し通して家族が泣く」 その状況って単純にお金の話じゃないのかな
についてですが、友人は小さい子供がいて、出産のとき奥さんに仕事を辞めてもらったんですね。オレが働くから家にいてくれ、って。なので、友人が会社を辞めると、きっとモメて家族が泣くということかと。。。

> つまり 消費しないピノキオが求めている自由は
> 自分勝手で自己満足な自由であり 完全な自己都合ってことです

僕が求めた自由も手に入れた自由も、自分勝手で自己満足な自由であり、完全な自己都合なんですよね。

そう割り切ったはずなのに、ときどきモヤモヤしてしまうことがあります。

家族には金銭的に大きく困ることはさせない予定で(小さく困ることは多々あると思うけど)、世間体的にも世間をうまくごまかせていると思っています。

ただ、何かの事件(病気、事故、災害、想定外の教育費、など)が起きて急に大金が必要になったり、父が会社に勤めていた方が良かったじゃないか、と思わせてしまう不安を抱かせてしまっています。
その不安を与えてしまっていること自体が「自分勝手」なことではあると思っていて、その「自分勝手さ」も含めて、ちゃんと考えて結論づけて、会社を辞めることを決断したはずなのに、たまにヒョコって顔を出されて揺さぶられちゃうんですね。「おい、そういえば、本当に良かったのかよ?」って感じで。
「自分勝手」でいいや、って割り切ったはずなのに、「自分勝手」な自分を反省しちゃったりしてる。

うまく書けないけど、そんな感情が出てくることがあります。
これからずっと出てくるのかもしれないし、そのうち消えるのかもしれません。

kosukeparkさん より:

こんにちは。
皆さんのコメント同様、完全な自由など無いかと思います。
また、この世での大多数は「自己満足」という理由を当て嵌めると腑に落ちると、何かで聞いてなるほどと思いました。
家族については、幸せにしたいと当然思いますが、自分もハッピーでなければどこかで歪みが生ずると思います。
「怒」が消え始めてるとの事、とても良いですね!

家族の幸せと自分の幸せのバランスは、人によって違うんでしょうね。
たぶん僕は、自分勝手に自分の幸せを優先しちゃってると思います。
その代わり、「オマエたちのためにお父さんはな、・・」と言わないようにしています。(^^)

exit0720さん より:

何をもって「自己満足」と呼ぶのかなのかもしれませんね。
家族も受け入れられる自由であれば、何ら問題ないわけですし。
ただ、家族の幸せって言葉にすれば簡単ですが、きちんと話し合って、
突き詰めて考えてる家庭って、そう多くはないと思うんですよね。
そういうのがなければ良かれと思ってしている我慢すら
「自己満足」になっちゃうんだと思います。

ただ、それにしても私たちは強欲だと思います。
もっと幸せになれるはずだとあの手この手を探すのですから。
お金が全てではないとか禁欲的なふりをするのは、
返って謙虚でないと批判されてしまうのかもしれませんね。

「自己満足」が「家族の幸せ」につながればとても良いし、そしてそれは「自己満足」にはならなくなると思うのだけど、おっしゃるとおり、「家族の幸せ」も、家族の一人一人の価値観によって微妙に変わるから、自分一人で「家族の幸せ」を考えててもダメなんでしょうね。

本当、私たちは強欲ですね。(^^) 
でも、「もっともっと」という気持ちは薄れてきたと感じませんか?

煙々さん より:

はじめまして、煙々と申します。

記事は考えさせられました。たしかに、「自由は欲しいけど、『自分勝手で自己満足な自由』なんていらない」とのこと、大半の人はそうなんだろうな、と。
完全なる自由なんてものは今の世になく、ある程度可能となる自由、皆はそれで十分なんだろうなと。結局、自由になりたい理由の違いでしょうか。そんな気がします。

煙々さんは他の方のブログコメントでよくお会いするので、初めてな気がしません。
でも、はじめまして。(^^;)

そうなんです。自由への優先度がそんなに高くないんだな、と感じました。
「自由になりたい理由」、そこにヒントがありそうですね。

さんすけさん より:

自由からの逃走という本で書かれているように、大半の人は自由なんて求めていないのだろうな、と思います。
自由を手にするためには覚悟が必要ですからね。とても大変です。

自由をテーマにしているクセに、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本は読んだことがありません。
しかし、なんとなくは知っています。
「自由を与えられることに対して、孤独や責任を受け止めるということが求められる」という考え方ですよね。

確かに「自由を求める」にも、「自由を得た」後も、いろいろと考えることが多く、とても大変ではあります。
でも、僕はやっぱり、この大変さよりも、自由の無い大変さのほうが、大変だと思います。

皆様、ありがとうございました。

   
 

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こちらも読んでみてね

コメント

  1. デストラーデ より:

    現在、就職活動中の大学四年生です。
    就職活動を通して、いかにこれまでを無駄に生きてしまったか実感しています。
    夢も持たず、周りの指示に受けて流されて流されて…。
    今から夢を持つってできるんですかね?
    持ったとしても会社も選べるような身分でもありません。
    働けば時間はなくなります。
    このことに気付きながら定年を迎えたときどうなるんでしょう。
    首を括るのでしょうか。
    こんなこと忘れてしまってるでしょうか。
    これまで出会った人は皆、人生はなんとかなると言いました。
    でも、人生はなんとかならない。
    私はずっとそう思ってます。
    私が後悔なく生きる道は自己表現を形にして生きることしかないと考えます。
    作家や芸術家、経営者。
    時代が変わって、ホームページや動画製作などのデジタルコンテンツでも可能です。
    できれば企業に入らず、個人で活動したいものです。
    しかしそれはどんな活動をしようにもまず基本の生活ができるほどのお金がなければなりません。
    このことに中学生高校生と気付くことができなかったのはなぜなんでしょう。
    立派な一流企業に行くことが夢なんかじゃなかったのに…。

    もう遅い。もう遅いとなんど反省すればよいのでしょう。
    まだ間に合うことってなんでしょう?
    私が自己表現のためすべきことは何でしょう?
    お忙しい中恐縮ですが、お返事待ってます。

    • 正吉 より:

      デストラーデさん、コメントありがとうございます。
      会社に就職したくないんですよね?
      でも、先立つものがないのだと思います。
      もう遅い、と考えている理由は何ですか?
      間に合わない、と考えている理由は何ですか?
      力になれるかもしれないし、なれないかもしれません。
      公開したくない情報もあると思いますので、メールをください。
      syoukichi★iwannabefree.info(★を@に変えてね)にメールくださいね。待ってます。

  2. 染吉 より:

    みなさんが仰るように、家族の幸せは自分の幸せと違うかもしれませんが、
    大前提として家族を幸せにするにはまず自分自身が幸せでなくてはならない、と思います。
    父親(自分)が幸せを感じられない家族が幸せとは考えにくく、
    父親(自分)が幸せであって初めて、家族を幸せに出来るのでは?と思いたいです。

    金銭的に大きな苦労をかけないことが前提ですが、
    幸せな父親(自分)と家族が時間を共有することがその家族の一つの幸せな形なのではないでしょうか?

    確かにこれは父親(自分)の自分勝手な自己満足かもしれませんが、
    家族を幸せにしたいと思った時、
    そのために自分が幸せでない状況を我慢して潰れてしまっては元も子もないと思うのです。

    正吉さんの
    > 家族の幸せと自分の幸せのバランスは、人によって違うんでしょうね。
    > たぶん僕は、自分勝手に自分の幸せを優先しちゃってると思います。
    > その代わり、「オマエたちのためにお父さんはな、・・」と言わないようにしています。(^^)
    という想いは非常に共感出来ます。

    • 正吉 より:

      染吉さんからコメントもらうのは初めてかな?
      いつもメールをありがとうございます。
      僕も「父親(自分)の幸せ」がある方が健全だと思います。
      「自分以外の人を幸せにすることが自分にとっての幸せ」というのがベストかな、とは思うのですが、なかなかそこまではたどり着けません。(^^;)
      「幸せである父親(自分)」を子供に見せてあげるのも、「父親の大事な仕事」だと思うようになってきました。

      • 染吉 より:

        すいません、ついコメントしたくなってしまいました。
        子どもから見て親が幸せそうじゃなかったら嫌ですもんね。
        自分は何に優先順位を置くべきか、いろいろ考えてしまいます。

        仕事の話を受けるか受けないか検討されている時に
        面倒なメールをしてしまい申し訳ありません。

        今回の仕事の話が正吉さんの今後にとって良い機会となることを祈ってます。

        • 正吉 より:

          染吉さん、コメントありがとうございます。
          「優先順位がその人を決める」んじゃないかな?と思うようになってきました。
          面倒なメールなんかじゃないですよ。(^^)
          染吉さんの、移住や家族に対する真剣さに感服しております。