「自由」であることは実は「不幸なこと」

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「夏休みが終わったので、毎日バリバリ仕事をしています」なんてことを書きたいんだけど、朝から晩まで本を読んでばかりです。

本を手放したいんだけど、「手放す前にもう1回読んでおこう」と思って、その本の内容にはまってしまうという・・・。

大掃除によくあるパターンです。

今日読んだ本は、手放そうと思った本ではなくて、会社員時代に買って読んだけど内容をあまり覚えていなかった本です。

その本の冒頭にこんなことが書かれていました。

「自由」であることは、実は「不幸なこと」です

『三丁目の夕日』の時代が幸福といわれるのは、日本が高度経済成長期だったからだと世間的には思われていますが、本当はそうではなくて、生き方の”選択肢”が少なかったからではないでしょうか。

経済的には貧しかったにもかかわらず、希望を持って人々が生きることができたのは、日本人の人生のパターンが今よりも単純な時代だったからとも思えます。

そう考えてみると、現在の若者の不幸は経済的貧困によるものではなく、本当は主体的に人生を選択する勇気と知識の欠如によるものなのです。

自由であるというのは辛いことです。選択を自らしなければならないという点において、僕たちは不幸なのです。

それでも、好むと好まらずにかかわらず、僕たちは自由に生きることができる現在の日本に生まれ、これからの自分の人生を選択していかなくてはいけません。

正直、会社員時代にこの文章を読んだときは、あまりピンときませんでした。

(? オレ今、全然自由じゃないし。選択なんて出来ないし。まずは自由になってみないと始まらないんだよ)なんて思っていました。

でも、今はこの文章がとても腑に落ちます。

このブログの元タイトルは「会社を辞めたい 自由になりたい」でした。

僕はとにかく「自由」が欲しかったです。

でも「自由」を手に入れてみたら、全ての責任が自分にかかってくることがわかってきました。

楽しく過ごすのも、つまらなく過ごすのも「自己責任」。

お金をいくら稼ぐか(稼げるか)、お金をいくら使うか、24時間をどう使うか、、、全てを自分で決められるけど、決めなきゃいけないのは自分。

その「ツラさ」の意味がようやくわかってきました。

「自由」が悪いということではないんです。

「自由」はやっぱり最高なんです。

でも、何もかも自分で選択して、自分でその責任を取るのって、結構ツライんです。
(クソ組織、クソ会社、クソ上司のせいにできないからね)

「皆一緒に同じ方向に向かってがんばってれば幸せになれる」と思えるのは、確かに幸せなことだったんだろうなぁ。

でも、それもやっぱり幻想だったことが、今になってわかっているんですけど。
(幸せな老後を過ごしている人もいるとは思うけど、こんなはずじゃなかったと思っている人もいるはず)

過去の選択に後悔するのも自分だし、満足するのも自分です。

自分の人生をどう生きるかは、自分で決めたいです。

「選択する余地なんて無い方が幸せだった」なんて絶対に言いたくないです。

あ、なんだか、この本の悪口みたいになっちゃった。(^^;)

この本は「好き」で「食っていく」ためのヒントがたくさん書いてある素晴らしい本です。

別記事で、いつかその素晴らしさを書きますね。

   
 

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