子供にかかる費用は「聖域」なの?

子育て費について、いろいろと考えてきました。
「どこにお金をかけるべきか?」 「どこにお金はかけなくても良いのか?」
こんなことを考えていると、行き着く先は「結局、子供にどうなって欲しいのか?」と自らに問うことになります。

○プロゴルファーになって欲しいのならば、
 →とりあえずゴルフをやらせる、スクールに通わせる、コーチを雇う・・。

○東大に行って欲しいのならば
 →お受験する、塾に通わせる、家庭教師をつける・・。

という英才教育への道が考えられますが、僕も含めてほとんどの親は、子供に何か特定の選手や特定の職業人になって欲しい、なんて望んでないと思います。(ゴメンなさい、想像で言っています)

もちろん、子供自身が、
「サッカー選手になりたい、そのためにクラブチームに入りたい」、って言うならばできる限りの応援はします。
「政治家になりたい、そのために一流大学に行きたい」、って言うならばできる限りの応援はします。(ホント?)

でも、親がいくらがんばったってサッカー選手や政治家になるのは子供自身なのだから、親ががんばるにも限界がありますし、応援するにも限界があります。「年間1,000万円かかる海外の大学に4年間行きたい」なんて言われたら「ごめんなさい」するしかありません。

周りの人に聞くと、「英才教育」っぽいことをしている親ってほとんどいないのでホッとするのですが、じゃあ、自分の子供に何を望んでいるの?って考えると、たぶん、全ての親は「幸せになって欲しい」んだろうなって思うんです。

「親が考える子供にとっての幸せ」の定義って、「自分にとっての幸せ」の定義よりも難しいんだけど、僕が考える最低限で究極な解答をしちゃうと、「人のモノを盗んだり人を裏切ったりしなくても、大切だと思う人と仲良く笑っていられる生活が出来て、自分の子供が成人するくらいまでは死なない」くらいの感じかな、って思います。

かなりハードルを下げちゃいましたけど、このくらいのレベルの生活が出来るように子供が生きるための力や知恵を得られるようにしてあげられれば十分なんじゃないかな、と思うし、そのくらいの応援や支援が出来ていれば、あとは僕自身の幸せを追及しちゃっていいんじゃないかな、と思うようになってきました。

ちょっと冷徹で自分勝手な父親の意見を書きましたが、正直言うとこのあたりの軸はブレることが多いです。

息子が、しおらしくしていると「もっといろいろやってあげなきゃ」って思うし、反抗的な態度をとられると「お前はお前で勝手に一人で生きて行くがいいさ」などと突き放してしまったりするので、矛盾が起きてしまうこともあります。

子供にかかる費用、特に教育費は「聖域」と言われていたことがあり、お金をかけることが子供のためになる、と思われていましたが、今はそんなこと言ってちゃイカンと思います。

「セレブ学童保育は月10万円」の記事にも書きましたが、子供にいろいろと教えることを他人に委ねて、そのためのお金を稼ぐために子供にかける時間が無い、みたいな本末転倒は やっぱりダメだと思うのです。

「お前のためを思って父は我慢して仕事をがんばってるんだぞ、だから頑張って勉強して良い成績をとってこい」なんて言われた日にゃ、子供側だってやってられないでしょう。

時々テレビドラマで見る「そんなことをやらせるために、苦労してお前を大学まで行かせたんじゃない!」なんて事を言う父親にもならないよう、ポリシーをちゃんと持ちたいです。

「教育費も見直しを」

   
 

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