「途中下車 -パニック障害になって。息子との旅と、再生の記録-」 北村 森(著) という本を読んだ。
30代で「日経トレンディ」の編集長に就いて激務を続け、電車に乗れない、などのパニック障害を発症する。
41歳で退職、無職になった著者が6歳の息子と旅をしようと決意し、パニック障害を克服していくノンフィクション。
「パニック障害という病気の克服」が、この本の大切なテーマだけど、それよりも「家族の再生」がメインテーマだと思った。
amazonの書評はえらい書かれようだったけど、僕は素直に良い本だと思ったし、いろいろと学ぶことが多かった。
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僕も会社員だったときは、「妻や息子くんたちのことが全然見えていなかった」と、今になってみるとすごくよくわかる。
休日は、僕は疲れて家でグダーっとしていることが多く、次男くんのサッカーの試合をタマに観に行くくらいしかできなかった。
小中学生の彼らの「素の姿」を見られるのは、年に1度の日曜参観や運動会くらいだった。
平日は、僕が出勤する時間、家族全員はまだ家にいるし、僕が家に帰ってくる時間には、家族全員はだいたい帰ってきている。
なので、僕がいない間に、家族がそれぞれどんな一日を過ごしたかなんて全くわからないし、何か事件が起きていても妻が話してくれなければ、または、僕が聞く耳を持たなければ、「何も知らないこと」になってしまっていた。
その頃、僕の目に映っていた息子くん2人は、リビングでグダーっとテレビを観ていたり、だらしない格好でゲームをしているところばかりだったので、自分が疲れていることもあって、そんな姿を見て、彼らに対して常にイライラを感じていた。
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でも、会社を辞めて、息子くん2人に「行ってらっしゃい」や「おかえり」を言える立場になると、
「暑い中や寒い中、自転車通学大変だな」とか
「忙しいのに勉強がんばってるな」とか
「今日も部活がんばってるな」などと、思うようになってきた。
そうすると、イライラなんて感じなくなって、むしろ2人の息子を尊敬するような場面まで出てくるようになった。
僕がイライラをぶつけなくなると、逆に、彼らも僕に対する態度を変えるようになって、父子の関係はかなり改善されたと思う。
お互いに真面目な話もするようになったし、家族で笑い合う回数もとても増えた。
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妻の苦労や、家事の大変さも、身にしみてわかるようになった。
だからといって、僕が「スーパー主夫」に変身したわけではないけれど、妻が辛そうなときや、自分に余裕があるときは、妻を助けるべく、自らいろいろと手を出すようになった。
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この本の最後の方に、小学生になったばかりの息子さんが学校に行けなくなる事が書かれている。
この事件に、著者の父は真剣に立ち向かうのだが、忙しく仕事をしていたら、この事件に気づかなかったかもしれないし、対処もできなかったかもしれない。
父が知らなければ、または何も対処できなければ、母が、または、家族以外の誰かが救ってくれたのかもしれないけれど、父と子2人で立ち向かって解決したことは、その後の息子さんの人生や生き方に大きく影響すると思う。
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何かを犠牲にしたとき、大きなものを失うこともあれば、大きなものを得ることもある。
失うものや得るものが、とてつもなく大事なこともあるし、犠牲の方が深刻になることもあるから、何が一番大事なのかは誰にもわからない。
でも、「何よりも自分を優先してくれた」という想いは、子供の心にいつまでも深く残ると思う。
そう考えれば、「誰でも代われる仕事」と「家族の一大事」を天秤にかけたとき、そんな「仕事」なんて「クルクルポイ」してしまえばよいと思う。
自分の人生の中の「有限」を考えたとき、「自分が何を優先するのか」を常に意識していないと、下らない間違った判断をしてしまうのかもしれない。
それは、早期退職した今でも気をつけておかなければいけないことだと思った。
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