もう僕は親父としての役割を終えたのかもしれないです。
僕には息子が2人います。中学生です。
今、僕が死んでしまったとしても、遺族年金と保険金で中学・高校に通えるし、大学進学までできます。
僕が全くお金を稼げなくなって、家族が生きていくためだけのお金しか無くなったとしても、公立であれば中学・高校には行けます。勉強したければ奨学金で大学にだって行けると思います。
お金が無いことで、自立するのに困ることは無いと思います。
社会人になって奨学金を返さなければいけなくて苦労をするかもしれないけれど、働けていれば食うには困らない生活が出来ると思います。
もう僕がいなくても彼らは生きていけるのです。
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役割を終えたみたいだから もう子供のことはいいや、と言いたいわけではないです。
今、僕が死んでしまったとして、息子たちに関して後悔することがあるとすれば、
「子供たちにもっといろいろなことを教えてあげたかった」
ということだと思います。
・困ったときのアドバイスをしてあげたかった
・僕が知っている魅力ある場所に連れて行ってあげたかった
・ギターの弾き方を教えてあげたかった
・もっと一緒に遊んで生きる楽しみを教えてあげたかった
・僕が知ったこと、知恵、知っておかなければいけないこと、を伝えてあげたかった
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今までは 僕と妻と子供が生きていくために「僕が会社で働いてお金をもらう必要があった」
だけど、もう「僕が会社で働かなくても家族は生きていける」
だから、生きづらくてツライ気持ちで働くくらいなら、会社を辞めてしまおう
そして、もし今死んでしまって後悔することがあるのならば、自由になった時間でやりたいことをやっておこう
息子たちに教えてあげたいことがあるのならば、僕から時間を作って伝えてあげよう
そうすれば、家族の関係はもっと良くなるはず(今が悪いわけじゃないけど)
そして僕のココロに住みついてしまっている悪い病も消えていくはずだ
コメント
こんにちは。
人生、今からですよ。会社命!仕事命!お金命!・・・って考えてしまうから、むなしくなるんだと思います。
私は早期退職してから社会とのつながりを断っていますが、未だに煩悩が絶えません。夢に出て来る人は、会社員時代の人ばかり。
はじめまして。50のおっさんです。2人の男高校生がいます。
私自身二十歳の頃おやじに「もう俺おらんでもええやろ」と
言われました。その6年後に言葉とおりおやじは亡くなりました。事実おらんでもなんとかなりました。この歳になるとその気持ちわかります。
パルタ7さん
むなしくはなってないんです。役割を終えたのだから、後悔無くこれからの人生を送りたいと思っているのです。
ymさん
初コメントありがとうございます。
年を重ねてみてやっとわかることありますね。
僕は息子に「おらんでもいいやろ」って言うのかなぁ。まだ決めていないのですが。「親父に見捨てられた」と思われないように言わないといけないな。