早期退職後のイライラの原因は、自分でも意外なところにあった

早期退職後のイライラを分析してみたら、原因が少しわかってきたの続きです。

会社の仕事が忙し過ぎたり、無理なスケジュールを強要されて精神的に追い詰められると、
眠れなくなったり、何を食べてもおいしく感じなくなったりすることがありました。
こんな状態が慢性化してヒドくなり、「うつ状態」になって、心療内科に通院するようになりました。

その頃に強く感じたのは、「人として生きる最低限の欲求さえも満たされていない生き方をしちゃってるな」ということでした。

マズローの欲求5段階説

心理学者のアブラハム・マズローは、『人間の欲求の階層(欲求ピラミッド)』の中で、「人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲する」と主張しました。

maslow

会社で仕事をすることで、感謝されたり、頼りにされたり、自分の目標を達成することで、上位の欲求は満たされているのかもしれないけれど、生きることの基本であるべき下位の欲求(十分な睡眠をとって、ゆっくりと美味しい食事をとり、健康に暮らすこと)を満たすことができなくなっている状態に、矛盾を感じました。

これが、僕が会社を早期退職した理由の一つで、まずは下位の欲求をちゃんと満たしてあげることにしました。
そして、自由になった現在、それはうまくいっていると思っています。

しかし、自分の中で上位の欲求が満たされなくなり、ここ最近イライラを感じるのは、自分が上位の欲求を満たしたがっていることに原因があるようだ、と少しずつ気づき始めました。

組織に属していただけで社会的欲求は満たされていた

今現在、僕は、家族と友達以外のコミュニティに、存在できていないし、感謝もされていないし、評価もされていません。

この状態は、とても気楽で心地よいのですが、反面、自分の中で何か空虚な感じが残るのです。

僕にとっては、誰かに「ありがとう」と感謝されて、「どういたしまして」と返せることがとても重要なことだったのだ、と気づき始めています。

学校という組織(?)を卒業してから長い時間、会社組織にいたから気づかなかったけれど、組織に属することで、あまり意識せずに、社会的欲求や承認される欲求が満たされていたことに、退職してから初めて気づいたというわけです。

これは自分にとって、意外なことでした。
「自由に生きられるなら、自尊心なんて必要ない」と長い間、考えていたからです。

誤解の無いように書いておくと、
だからといって、「会社を辞めなければよかった」と考えているわけではありません。

誰かに感謝されたい、誰かに必要とされたいからといって、尊厳(承認)欲求・自己実現の欲求を埋めるためだけに、閉塞感だらけのあの伽藍(がらん)に戻るつもりはないです。

社会的欲求や、尊厳欲求、自己実現の欲求は、僕が目指している「雇われない働き方」でも、会社組織以外のコミュニティでも満たすことができるはずだ、と思っています。

下位の欲求も上位の欲求も両方満たしちゃえ

まとめます。

今まで、このブログは、「会社を辞めて、時間的精神的な自由を自分に与えてあげる」ことをテーマにしてきました。

自由を得ることができて、下位の欲求を再び満たすことができた今、新たな悩み(上位の欲求が満たされない)が出てきました。

下位の欲求を満たす自由な生き方をしながらも、上位の欲求に対しても満足を得られるような、バランスがうまく取れた生活をしていきたいです。

そんな生き方をするためには「どうしていけば良いのか」を考えて、実践していく、そしてそれを伝えていくのが、このブログの新しいテーマなのかも、と考えました。
 
 

コメント

  1. 観楓 より:

    リタイアした身で社会的欲求や尊厳の欲求を満たすことはなかなかに難しいですが、自分にもそういうものを求める気持ちは確かにあるような気がします。

    とはいってもボランティアをするとか、どこかのコミュニティに参加するというようなことを頻繁にやる気にもなりませんので、せめてブログを書く時に誰かの役に立ちそうなことを1つは盛り込もう、と心がけるくらいが今は関の山ですね。

    まあ、のんびり行こうと思います。

    • 正吉 より:

      観楓さん、コメントありがとうございます。
      僕も、すぐに何か建設的なことをやろうという気持ちでもありません。(^^;)
      お祭りのお手伝いを1時間だけやる、とか、近所のじいちゃんの草むしりを1時間だけ手伝う、くらいのレベルからのんびりやろうと思っています。

  2. exit0720 より:

    人間は社会性を持ってるので、本能を否定しちゃうとうまくいかないですよね。
    人生の意味とかそういた合理的な部分は自身の中から生まれ、
    幸せは他者との共有から生まれる。
    Into the wildと言う映画を思い出しました。

    • 正吉 より:

      exit0720さん、コメントありがとうございます。
      自分にもそういった欲求があったんだなぁ、と気づいて意外でした。無くなってみないとわからないものなんですね。
      大きな集団では生きづらく、でも、一人だけだと空虚になり、、ワガママだなぁ。
      Into the wild、僕も見ました。最後の言葉でしたよね。

  3. 集団から認められたい尊厳の欲求
    他人やグループと関わりたい社会的欲求

    この2つからは積極的に距離を取りたいなと
    現時点では思っています

    でもリタイアしたら、欲しくなるような気もします

    振り子運動なんでしょうね

    • 正吉 より:

      消費しないピノキオさん、コメントありがとうございます。
      僕もずっと距離を取りたいと思っていました。クソくらえとさえ思っていました。
      なので、とても意外です。
      この記事のタイトルは「ないものねだりのオッサン」にしようかと思ってました。
      無くなると欲しくなる、困ったオッサンです。

  4. 早期リタイアできるけど働いてるおじさん より:

    同感します。仕事ですり減っていた時は、自由になることのみが希望で、孤独も全く苦にならないどころかむしろ安らぎでした。しかしリタイア可能になって精神的に開放されて初めて気づいたのは、孤独の恐怖。これは全く予想外の感情でした。それから人間関係を作るのに最も簡単な方法は仕事と家庭であり、逆にそれらがないと人は簡単に孤立するという事実でした。そんなわけで独身の私は、人に会いに行くために、未だに仕事をしています。カネは十分あるので、マイペースを守って決してすり減らない点は大きく変わりましたが。

    • 正吉 より:

      早期リタイアできるけど働いてるおじさんさま、コメントありがとうございます。
      孤独を楽しんだり、孤独に耐えたり、ということも大切なんですね。
      > カネは十分あるので、マイペースを守って決してすり減らない
      あぁ、理想形ですね。僕もがんばります。(^^)

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