平和な毎日を過ごしています。
やらなければいけないことは あまりありません。
このまま支出の少ない生活を続けて、資産を毎年少しづつ食いつぶしていけば、何とか生きていけそうだ、と考えています。
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「自分や家族が重い病気にかかってしまったらどうしよう」
「恐慌が起きて、全ての資産がゼロになったらどうしよう」
「地震が起きて、家がつぶれてしまったらどうしよう」
でも、時間があると、悲観的なことを想像してあれこれと心配してしまうことがあります。
進化論が社会問題や私たちの悩みについて述べていることは、次の一行に要約できます。
ひとは幸福になるために生まれてきたけれど、幸福になるように設計されているわけではない。
進化心理学によれば、私たちの脳は、幸福よりも不安や絶望をより多く感じるようにプログラミングされています。自然淘汰を生き延びたのは、ライオンの前で昼寝をする幸福な楽観主義者ではなく、災厄を恐れてあたりを見回してばかりいる不安神経症の悲観論者でした。遠い将来に遺伝子のプログラムを人為的に書き換えられるようになるまでは、私たちはこのやっかいな進化の産物とつき合っていくほかありません。
-「不愉快なことには理由がある」橘玲-
会社に勤め続けていたとしても、たぶん心配はつきません。
不安に思うことは、きっと今の何倍も多いでしょう。
何を選択しても、どう生きても、不安や心配から逃げることはできないのでしょうね。
なるようにしかならないんだから、不安を感じながらも、一日一日を平和に豊かに過ごそう、と思います。
コメント
どんな道を歩んでいても悩み事というのは尽きないでしょうね。
子供にも、若者にも、中年にもその時々の悩み事はあると思います。
もう働かなくてもお金の心配の必要のない裕福な老人だって、「死」という大きな悩みを持っています。
でも悩むからこそ、人はその悩みを消そうと行動するのかもしれません。
そう考えると、悩みというのは活動の原動力になる重要なものかもしれません。
正吉さんも悩み事の中身が変わっただけで、悩みが全く無くなることはないと思います。会社員時代は、仕事の悩み事が多かったと思いますが、今はお金とか時間の過ごし方とかでしょうか。
結局、「どんなことで悩むか」を選択するしかないんでしょうね。先日のご友人の場合、生活の事で悩むことが嫌なので、仕事の事で悩むことを選択しているのだと思います。私なんかも正吉さんのような考え方、生き方に憧れを抱きつつも実行には移せない小心者です。
しかしながら、何かに没頭している時は無心になれますから、そういう仕事や趣味を始めてみてはどうでしょうか。それに目標もなく毎日なんとなく過ごすのもいずれ精神的に限界がくると思います。
たとえば竹細工とか、家具作りとか、陶芸とか、稼ぐことが目的でないのであればそういう物作りの仕事なんかいいと思いますね。
ところで、まだ会社に籍を置いているようですが、会社に籍があっては気分的に落ち着かないのではないでしょうか。いつ頃、退職されるのですか?
ママチャリライダーさん、コメントありがとうございます。
>「どんなことで悩むか」を選択するしかない
というのは良い考え方ですね。なるほどぉ。
近況については、もうすぐお伝えできると思いますのでもう少しお待ちください。
上記、ママチャリライダーさんがおっしゃっている事、すごくわかります。
正吉さんがカミングアウトされた事により、拝読するひと時の間ではありますが、多くの人が救われているのではないでしょうか。
人間はもっと自由に生きれる動物だと思いますし、そう生きなければ心が病んでしまうのも事実なんだと思う今日この頃です。
多くの人が正吉さんを見守りつつ、かつ、正吉さんに自分の影を重ねているような気がします。
最後まで見届けますし、最後までお供しますよ。
Tsutomeさん、コメントありがとうございます。
温かいお言葉をありがとうございます。
来週、自分にとっての少し大きなイベントがあります。そこから新しい展開が始まると思っています。