twitter経由で、とても共感できる記事に出会いました。
好きなことだけして生きていく覚悟。人生の責任はじぶんで背負う。|こまつ ゆみ(ゆみちん)|note
「家族のためにやりたいことをガマンして生きている」と考えてるお父さんは読んだ方が良いです。
好きなことだけして生きていくって、覚悟がいるんです。それに、全然かっこよくない。
この気持ちがとてもよくわかります。
会社を辞めてからは、「好きなことをする」「やりたいことをやる」と考えて生きていますが、罪悪感を感じてしまったり、(こんなことで良いんだろうか?)という気持ちが出てきたりします。
「覚悟」もそうだし、「信念」も持っていないと、気分が落ち込んだときなんかは(もしかしたら会社を辞めて給与をもらわないで生きていくなんてオレには無理なのかも・・)と考えてしまったり。
(好きなことをして生きていけてるオレ、すげぇ)と思いつつも、そういうときって(自由に生きている自分をちゃんと正当化してあげないと)とも考えてる、というカッコ悪い側面もあります。
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わたしたちは、父がいなくなったら、確かに寂しさを感じたかもしれないけれど、「家族のために」という父の呪いの中で生きていくより、よっぽどよかったように思います。
「家族のために」という言葉は、わたしにとっては重すぎる。
義務なんて感じることなく、父が父らしく、好きなように生きてほしかった。それを無責任だなんて思わない。
「結婚してください」と言って結婚をしたんだから、
「子供を育てたい」と言って子供を産んだんだから、
「オレには家族への責任があるのだ!」
それは確かにあると思う。
でも、自分の人生の責任を取る方が最初だと思うし、それも大切にしなければいけないと思う。
「自分への無責任」を「家族への責任」にすり替えてはいけないし、やりたいことをやれていないことを家族の責任にするのもダメだと思う。
(「思う」が多いのは、書いていることに絶対の自信がないからだと思う)(^^;)
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僕ががんばってお金を稼がなければいけないと思っていたし、
効率的に過ごすことや、時間をうまく使うことを優先しなければいけないと思っていたし、
家族を顧みずに仕事優先になってしまうのも仕方がないことだと思っていたし、
仕事のイライラを家族にぶつけることも多くあって、僕と家族の関係は良好とは言えなかった。
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家族の関係に少しくらいのヒビが入っても、生活するためのお金を稼ぐことの方が重要だと、どこかで思っていた。
でも、僕は間違っていた。
そんなことは家族の誰も望んでいなかった。
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自分の部屋で、チマチマと、うまくいってるんだかいってないんだかよくわからない、あてのない作業をしていると、そんなときやっぱり、(ホントにこれでよかったんだろうか?)と考えちゃうことが多いけれど。。。
好きに生きるために、いろんなモノを捨てたことで得られた「大きな恩恵」のことを忘れてはいけないな。
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