内田樹先生の研究室で、「川内原発再稼働について」の記事を読みました。
こういった正しい意見をちゃんと取り入れて、ちゃんと確認することが大切だなぁ、と強く思いました。
社会が成熟すれば経済活動は必ず停滞する。生身の身体の欲求に基づいて経済活動がある限り、「衣食足り」れば消費は頭打ちになる。成熟社会では人口が減り、消費活動は不活発になる。成長しない社会において、どうやって国民資源をフェアに分配するか、この問いに答えるためにはそのための知恵が要ります。でも、わが国の政治家も官僚も財界人も学者もメディアも、誰一人「経済成長が終ったあとに健康で文化的な国民生活を維持する戦略」については考えてこなかった。
「パイ」が増え続けている限り、分配の不公平に人はあまり文句を言いません。でも、「パイ」が縮み出すと、人々は分配が公正かどうか血眼になる。そういうものです。資源の公正な再分配にはそのための知恵が要ります。しかし、今の日本にはその知恵を持っている人も、そのような知恵が必要だと思っている人もいない。相変わらず「パイが膨らんでいる限り、パイの分配方法に国民は文句をつけない」という経験則にしがみついている。
原発再稼働は「パイのフェアな分配」については何のアイディアもなく、ただ「パイを増やすこと」以外に国家戦略を持たない人たちの必至の結論です。
会社で仕事をする中で、「パイを増やすこと」ばかり考えている年寄りたちにウンザリしていたところが僕にはあります。
企業活動を継続するため、社員の雇用を守るためには「パイを増やすこと」が必要なことはわかります。
でも、一昔前の高度経済成長の感覚で「日本の消費はもうダメだから海外に進めー!」なんて言っている人たちに、ついていくことがどうしてもできなくなりました。
「じゃあ、お前に何か良いアイデアがあるのか?」と聞かれても、僕は何も言い返すことができません。
僕にできることは、矛盾を感じる生きづらい組織から、自分の精神を壊そうとする妙な力をもった空間から、離れることだけです。
その上で、自分や家族にとっての幸せを感じながら、謙虚に楽しく生きていきたいです。
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成長なき社会では、「顔の見える共同体」が基礎単位となることでしょう。地域に根を下ろした中間共同体、目的も機能もサイズも異なるさまざまな集団が幾重にも重なり合い、市民たちは複数の共同体に同時に帰属する。生きてゆくためにほんとうに必要なもの(医療や教育や介護やモラルサポート)は市場で商品として購入するのではなく、むしろ共同体内部で貨幣を媒介させずに交換される。そのような相互支援・相互扶助の共同体がポスト・グローバル資本主義の基本的な集団のかたちになるだろうと私は予測しています。百年単位の経済合理性を考えれば、それが最も賢いソリューションだからです。
先日の記事で紹介した「ナリワイをつくる」や、「ニートの歩き方」などに見られる「相互支援・相互扶助の共同体」の考え方や生き方を小さいながらも始めている若い人たちがいます。
「ナリワイをつくる」の著者伊藤さんも、phaさんも僕よりも一回り若い35歳くらいの人たちです。彼らは「お金」や「経済」の限界を、僕たち年寄りよりもよく知っているのだと思います。
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「『パイを増やすこと』だけを考えずに、『小さくなる資源をいかにフェアに分配するか』を考えていく」
「自分たちが次の世代に受け渡すために『一番大切なことは何か』と問う」
僕は、こういった正しいことをつい忘れてしまいがちです。
子供たちや子孫に「おじいちゃんたちはバカだったんだね、そんなことも考えられなかったんだね」と言われないように、正しく未来を想像して、正しい道を考えて、正しく行動して、この国をちゃんと手渡ししてあげなきゃ。
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