考えることが少なくなってきた

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今、僕は48歳ですが、40歳を過ぎた頃から、

「いつの間に、こんなクソみたいな日常になってしまったのだろう?」
「どうして、こんなことになってしまったのだろう?」
「どうすれば、こんな日常を抜け出して、楽しい日々を過ごすことができるんだろう?」
「何をすればいいのだろう?」
「何が必要なのだろう?」

そんなことを、いつも考えていました。

そして、やっと、クソみたいな日常を抜け出すことができた今、
考えることが少なくなってきた、と感じます。

楽しくて幸せな時間が増えたから、解決すべき問題が少なくなって、考えることが少なくなっているのか?
単純に楽しむための時間が増えたから、考える時間が少なくなったのか?

よくわかりません。

「どうして?」「どうすれば?」という問題を提起して解決していく思考から、

「何する?」「どうやる?」「どっちが楽しい?」という自分への問いかけに変わってきていることも強く感じます。

考えることが少なくなっている、というのは正確な表現ではなくて、考える対象やテーマが変わってきているのかもしれません。

数日前に「ブログが書けなくなっちゃった」と書きましたが、これもそんな思考の変化のせいなのかもしれません。

(うーん、うまく書けなくなっちゃった。続きは明日書きます。ゴメンなさい。)

(続き)
 

コメント

  1. さいら より:

    なんとなくわかる気がします。
    なんとなくですが、同じ経験をしています。
    自分なりの答えは・・・
    職場だと、問題が提起されていてそれを解決することで仕事が進むのだと感じました。
    だから、「どうやって?」から始まります。
    職場を離れると、それをする必要が無くなって、今度は「なにをする?したい?」って自分に問いかけることから始まるのだと思います。

    • 正吉 より:

      さいらさん、コメントありがとうございます。
      そうですか。やはり同じようなことがあるんですね~。
      思考が変わることをネガティヴに書いてしまった気がしますが、こういう変化は「喜び」です。ちょっとだけ、とまどってるだけなんです。(^^)

  2. クソみたい、言いすぎw
    いや、私はまさにクソみたいな日常にどっぷりです。
    はやくクソ日常から解放されたいなあ。
    サラリーマンってほんとに社畜奴隷そのものですよね。

    • 正吉 より:

      招き猫の右手さん、コメントありがとうございます。
      ちょっと言葉が悪かったですね。でも、あの頃はホントにそう思っていました。(^^;)

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