僕が会社を辞めた理由の一つは、「生きる糧」を会社に「依存」するのがイヤだったからだ。
「お金(給与)」という生活手段を、会社に勤めることでしか得られない状態に不満を感じていた。
「生きがい」や「使命」と言うと大げさだけど、そういう側面での「生きる糧」さえも、会社勤めという仕事に「依存」しなければいけないとすれば(やりきれないな)とも考えていた。
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早期退職したことで、会社への「依存」は無くなった。
「生きる糧」を会社勤め以外の別口から得なければならず、それは今でも難しいことであるけれど、大きな「束縛」から解き放たれて自由になることができた。
「依存」という「束縛」から解き放たれれば、人は自由になれるのだ。
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少しコジツケっぽいんだけれど、タバコ・酒などの嗜好品への考え方も少し似ている。
タバコを喫うのも、お酒を飲むのも、単純に快楽を求める好意だけど、「中毒」という側面も持っている。
「中毒」は、ある程度はそれに支配されている状態で、それが無くなると苦しい状態。つまり「依存」だ。
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「毎日1箱タバコを吸いたくなる」
「毎晩3合お酒を飲みたくなる」
(それくらいなら普通だよ、身体にとって大して悪影響は無いよ)という感じもする。
ニコチン中毒までにはなってないし、アル中でもない。
でも、そういうことでは無いのだ。
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「依存」がある限りは自由ではないし、あらゆる「束縛」は出来るだけ遠ざけておきたい。
そんな気持ちが僕にはある。
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今の僕には大きなストレスが無い。
日々の人間関係は、ほとんど無いに等しい。(家族以外は)
全てのスケジュールは自分で決められる。(仕事少ないけど…)(^^;)
「酒でも飲まなきゃ、やってらんねぇ」
「捌け口が無いと、ストレスが溜まる」
なんて思いはコレっぽっちも無いのだ。
だから、ストレス解消のための嗜好品なんて必要が無いはずなのだ。
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タバコも酒も「依存」まではいかないけれど、「惰性」はあるような気がしていた。
何かの「キッカケ」があって、少しの「意志」と、その意志による「認識改造」をちょっと行なえば、「惰性」は止められると思った。
そして、今はタバコも酒もやめている。
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少しやめてみて、思っていたよりもメリットが少なくてデメリットが多いようなら、再開しちゃうかも知れない。
僕は何度も禁煙を破っているし、そこはわからない。
お酒をよそう、なんて思ったのも初めてのことだし…。
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ここ数日、こんな感じのことを書きたかったんだけど、上手く言葉にできなかった。
今、読み返してみても、やっぱり上手く書けてない…。(と言うより まとまっていない)(^^;)
言いたいのは、「自分を縛り付けているいろいろなモノ(依存・束縛)をなくして、もっともっと自由になりたい!」ということなんだけど…。
難しいのは、依存・束縛だと思っていることが快楽でもある、からなのかもなぁ。
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