僕の元上司は「会社を辞めるなんてあり得ない」と考えていた

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橘玲さんの『(日本人)』という本を読んでいます。

この本は、かなり前に買った本ですが、単純に分厚くて読み始めることができずにいました。

日本人について書かれたこの本は、3つのPARTに分かれていて、やっとPART1を読み終えたところです。
相変わらずの「橘節」が全開で、面白いです。
読み終わるのがもったいなくて、わざとゆっくり読んだりしています。(^^;)

PART1の8節「水から見た日本論」P155に、こんなことが書いてありました。

会社コミュニティ

地縁や血縁を放棄してしまった日本人は、イエとしての会社がなくなってしまうと、もはや所属すべき共同体はどこにもなくなってしまう。これは社会的動物としてのヒトにとって、とてつもない恐怖だ。

おそらく日本人は、外部のちからによって強引にもぎとられるまで、イエとしての会社を手放そうとはしないだろう。日本的雇用が危機に瀕するほどに「会社」は貴重になり、ひとびとはそこにしがみつこうとする。

イエとしての会社は、あらゆる”縁”を捨ててしまった日本の男たちの最後の寄る辺なのだ。

 
引用が少し乱暴で恐縮なのですが、世界の中で見た日本人は、外国人と比べて地縁や血縁とは違った「社縁」という結合原理を大切にする傾向もある、という論理が展開されています。

僕個人としては、この考え方には「?」なのですが、僕の元上司の一人を思い浮かべたら、すごく腑に落ちました。

その元上司と退職の話をしたときのことです。

「この職場を離れようと思います」と僕が言ったときに、
「じゃあ、他部署への移動を考えなきゃな」と、その元上司は言いました。

「イヤ、もうこの会社を辞めるということです」と僕が言っても、
「そんなことはお前の歳じゃ無理だよ、他の会社でやり直すなんて」と笑いました。

全く話が噛み合わないことを僕は不思議に思いましたが、しばらくしてから、僕は気付きました。

この元上司に「会社を離れる」という選択肢は無かったのです

その元上司は、新卒で今の会社に入社して30年近く経っている人でした。
仕事はできる人でしたが、単身赴任を続けていて、奥さんと娘さんがいるこちらの地域に来ても、家に寄らずに単身赴任先に帰ってしまうような人でした。

おそらく彼は、家族とはうまくいっていなかったのでしょう。
そんな彼が所属する共同体は会社がメインで、彼にとって「今さら会社を辞めるなんてあり得ない」のだと思います。

この本のPART1の終わりに書いてあった文章をも一つ引用しておきます。

日本では、人間関係は”場”から生まれる。
”場”を失ってしまえば、私たちは孤独に戻っていくしかない。

 
僕は孤独が大好きなわけではないし、会社での「横のつながり」は悪いものではありませんでしたが、家族と少しの友達がいてくれて、その関係が良好であれば、もうそれで十分です。

その”場”でしか通用しないような人間関係は「クルクルポイ」で全然かまいません。

     
 

コメント

  1. さいもん より:

    家庭でうまくいってなくて会社に逃げる人より、会社から逃げて家庭に帰る人の方が人間らしいと思いますよ。本来人間なんて食えればそれでいいのです。

    • 正吉 より:

      さいもんさん、コメントありがとうございます。
      確かに。
      愛情を捧げるなら絶対家族だと思うんだけどなぁ。

  2. 分かります。
    共同体に属していないと不安でしょうがない個人、特に日本人にはその傾向が強いと思いますね。

    そういえば僕も去年辞めるといったときに、上司にあたる人から「辞めてどうするの、お金がかかるよ、辞めたら大変だよ」、と慰留されましたが、あの論法もまさに会社を離れることを許さない、その発想が無いんだろうな、と思いました。

    • 正吉 より:

      招き猫の右手さん、コメントありがとうございます。
      会社を辞めて個人で生きていく、ということを考えたことが無いのでしょうね。
      「辞めてどうするの」は、大きなお世話ですね。(^^;)

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