誤解のないように、初めに書いておきますが、僕にメールをくださる方の95%くらいが応援や相談、間違いの指摘で、それらのメールはとてもうれしく、ほぼ返事を書いています。(^^)
(タマに返信したつもりになっていることもあり、100%の返信になっていないかも知れません。スミマセン。)
今回、取り上げるのは「批判メール」についてです。
記事に書かれた内容に対する批判をメールしてくる方がいます。
または、僕の生き方についての批判メールをしてくる方もいます。
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あの、、送ってこなくていいですよ。
読みませんから。
「メール届いてますか?」とか確認しないでください。
ちゃんと届いてますよ。読んでないけど。
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おかしな人のメールはすぐにわかります。
ふつう、初対面の人に話しかけるときって、自分に敵意の無いこととか、「私はあやしいものではありません」的な情報を匂わすとかするじゃないですか。
ヘンなメールの主にはそれが無い。
ちゃんと読みませんよ。そんなメール。
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批判とか、キライとか、そんな生き方間違ってるとか、わざわざ文字にして送らないでください。
時間のムダです。
そんな時間があるなら、自分のため、家族のため、世の中のために使ってください。
そして、このブログも読まないでください。
お願いします。
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と、いつもブログを読んでくださっている読者さまには、不快な内容で失礼いたしました。<(_ _)>
僕のグチをお聞かせするだけでは心苦しいので、「自由でいたい」「やりたいことだけやりたい」「できるだけ働きたくない」と考えている方に、それを批判された時の対処法を一つ書いておきます。
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7/12に、やりたいことがあればやれば良いし、調子が悪い時は何もしなくても良いという自由という記事を書きました。
今、僕の仕事には「約束」というものがありません。
僕以外の人間と共同で何かをやることが無いし、特定のお客さんがいるわけでも無いので、「約束」が無いのです。
これはとても楽です。
人に合わせることなく、自分の好きなようにスケジュールを作って、やりたいことができて、休みたい時にはすぐに休めます。
やる気が無いとき、身体や心の調子が悪いとき、単純に何もしたくないなと思ったとき、「何もしなくても良い自由」があるのです。
大切な人に何かがあったときに、すぐに助けにいくことができる「自由」もあります。
この記事に、以下のような批判のメールをいただきました。
「アナタみたいに「約束」もしないで、大した仕事もしていないのならば、税金や社会保障費もほとんど払っていないのでしょう。そんな人ばかりになればこの国はおしまいです。そんな人に日本にいて欲しくありません。」
こんな内容だったと思います。(すぐにゴミ箱に捨ててしまったので詳細は不明)
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返信はしませんでしたが、答えるなら、
「じゃ、おしまいな日本からアナタが出て行けばいいんじゃない?」
などとちっとも論理的じゃない感情的なことを言っちゃいそうです。
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phaさんが過去にこんな記事を書いていました。
別に働かなくても生きていけたらそれでいいだろうって思う。しんどいことをせずに生きられるならそれに越したことはないだろう。僕は昔からずーっと、できるだけ働かずに一生ふらふらして生きていきたいって思っていて、どうやったらそれが実現するか必死で考えてきたし、いま若干それを実現している。死ぬまでこの調子でいきたい。
無職に対して「金を稼がない奴(税金を納めない奴)は生きてる価値がない」って言うような人は、自分の100倍収入があって100倍税金を納めてる金持ちに「お前は俺の100分の1しか生きる価値がない」って言われてもいいんだろうか。そんなんじゃなくて、みんな生きてるだけでその生命は尊重されるべきだと僕は思う。昔の偉い人は「生きてるだけで丸儲け」と言いましたが、人間は生きてるだけでそれだけで十分すばらしいことなんじゃないかと思う。
でもまあ、働かずに生きていくには家の資産だとか技術だとか愛嬌だとか美貌だとか運だとか、いろいろ他の要素が必要だとは思うけど。だから場合によっては普通に働くのが一番楽かもしれない。それでもしんどい労働をせずになんとかなるならそれに越したことはないし、楽をしてる人を叩くのはただの足の引っ張り合いにすぎないと思う。
phaの日記より
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すばらしい。
もし「働かないとダメ批判」をされたら、このphaさんの記事を参考にして応酬しましょう。(^^)
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