前回の記事で、「自由を得るための犠牲を、自分がどこまで譲歩出来るのか?を探ることが人生なのかも?」ということを書きました。
今の僕に置き換えると、「仕事」と「お金」の関係になります。
「雇われない」
「自由な働き方をする」
「自分が納得できて自分がうれしいと思う仕事をする」
「時間や人間関係に余裕のある生活を送る」
のが理想だけど、じゃ、そのためにどこまでお金の面で譲歩しなければならないのか?
「岩元貴久」さんはインターネット・マーケティングの先駆者で、アメリカで起業して経営者として成功しています。2004年頃「情報商人」や「情報商材」の言葉を世に広めた1人です。
彼が2006年に著した「仕事が嫌になった人へ」という本があります。
この本の中にこんな一節があるのです。
ちょっと長いですが引用します。
「なぜ働くのですか」と聞かれて、即座に思いつくのは、お金(給料)をもらうためという方が大半ではないでしょうか。
確かに、生活するためには、収入が必要であることは間違いありません。特に扶養家族を持つ人は、家族を養って生活するためには、お金のために働かなければならないと主張することでしょう。
これについて、わたしはなんら反論はありません。まさにそのとおりだと思います。
ところで、あなたは自分の人生を自分の思うままに送りたいと思いますか?
思いますよね? 自分の人生を他人にコントロールされるなんて嫌ですものね。
わたしたちにとって自分の人生こそ、この世でもっともかけがえのないものだと思うのです。人生は、ある意味、人の命そのものであるといってもいいかもしれません。
だから、どんなにお金を積まれても、命を他人に差し出すことは普通の人ならしないと思います。ならばこそ、自分の人生を他人にお金で売るなんてことは決してないでしょう。
「いや100億円と言われたら、わからない」と言う方もいるかもしれませんが、年間1000万円では、さすがに自分の人生を売ろうとは誰も思わないでしょう。それが500万円なら なおさらです。
さて、ではもう一度お尋ねしますね。
あなたは、どうして働くのですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・確認しますけど、お金のためじゃないですよね?
ね?
いかがでしょうか。なんかムカつきませんか。(笑)
どんだけ上から目線なんだよ、と最初に僕は思いました。
でも「イラっ」とするけど、とても考えさせられるのです。
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「僕は、自分の人生を、自分の命を、会社という実体のわからない(他人)に売っているのだろうか?」
「いや、人生や生活の全てを会社の仕事に費やしてるわけではない。休む時間だって自由な時間だってある。人生や命を売っているなんて飛躍しすぎている」
「でも、休日や寝る前に会社の仕事のことを考えて重い気持ちになることがある。アホな上司に稟議を通すための不毛な説明をしなければならなかったり、生意気な部下を説き伏せなければならなかったり、午前様近くまでの残業が決まっている日があったりする前日には、気分が悪くなって、気持ちがツラくなる。そんな日がほとんどだ。これは自分が望んでいる人生だろうか?」
「違う。こんな人生を送るために生きてるんじゃない。僕は生きるために働くけど、こんな人生を生きるくらいなら働きたくない。」「お金のために働かなければならないとしても、こんな働き方はしたくないし、するべきではない。」
・・・。
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この本はいつの間にか「古い本」になってしまいましたが、いまだに「痛いところ」をついてきます。
正直に言うと、岩元さんがこの本で書いている言葉は、「理想ばっかり言っちゃって」「成功者だから言えることでしょ」「それは きれいごとなんじゃないの」と思ってしまう部分があるにはあります。
でも、突き詰めて、仕事のことや、はたらくということ、お金のこと、を考えたい時にはとても良いヒントをくれます。(AMAZONのマーケットプレイスで1円で売ってます。オススメです。(^^;) )
う~ん、なんだか記事にまとまりがないような気がするなぁ。
私生活がバタバタしております。風邪が流行る季節はイヤですね。みなさまもご自愛くださいませ。
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