2-2.妻のとまどい
僕らが田舎にIターンをした2001年6月。
長男は2歳、妻のお腹には妊娠6ヶ月の次男がいた。
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当初は家にクルマが一台しかなくて、平日は僕が通勤のために使ってしまう。
妻は運転免許を持っていたが、クルマが無いので歩いて行ける範囲内でしか行動ができなかった。
近くに歩いて行けるようなお店などは無かった。
身重のカラダなので、あまり遠くにも行けず、2歳の長男と家にいることが多かった。
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横浜のアパートに住んでいたときは、徒歩30秒の公園で長男を遊ばせ、気の合うママ友同士でおしゃべりをすることが出来た。
長男の友達もたくさんいて、アパートにも毎日のように遊びに来ていた。
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でも、地縁も血縁もない田舎に来たので、友達も知り合いもいない。
近所に同じくらいの歳の子供もいない。
あまり家にこもっていると、長男がストレスをためてイライラするので、近くの公園や、児童センターにも行ってみたことがあったそうだ。
でも、そこには小さな子供はいなくて、小学生しかいなかった。
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このころ、長男のトイレ・トレーニングを始めた。
最初はうまくいかなくて、あちこちでオシッコをしてしまい、妻もピリピリしていたらしい。
僕が新しい会社に慣れることに一所懸命だったのを見て、あれこれ言えなかったのだろう。
妻は、あまりこれらのことを僕に言うことはなかった。
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でも妊娠中の妻にとって、もっと問題だったことがあった。
それは、「産婦人科の病院が近くにない」ということだった。
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正確に言うと、合う病院が見つからなかった、のだけれど
「この辺りの人は、どこで赤ちゃんを産んでるんだろう?」
と思うくらい見つからなかった。
出産は、神奈川県の妻の実家近くの病院 と決まっていたけれど、山梨でも、具合が悪くなった時のためにかかりつけの病院を見つけておきたかった。
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電話帳とインターネットを使って、ようやく良さそうな病院を見つけた。
クルマで30分くらいの場所だった。
この時期はまだ妻のクルマがなかったので、突然調子が悪くなったときは、僕が会社を早退して病院に連れて行ったり、タクシーを呼んで病院に行ったりということもあった。
次男を妊娠してから、出血したり、お腹が痛くなったり、ということが長男の時よりも多かったし、引越しなどの仕事も多かったので、
(もしかしたら、流産してしまうかもしれない)
という思いが、妻にも僕にもあった。
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「あの頃はストレスもたまっていたし、友達もいなくて、不安なことがたくさんあって、私はツラかったよ。」と妻は、今でも僕に言うことがある。
でも、ある日、そんな状況の妻を救ってくれる人が現れた。
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ずーっと前に僕が別サイトに書いていた記事を再掲しています。1990年~2005年くらいの話です。
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#早期退職
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