「走るぞ」と決めてから、今日で1か月が経ちました。
今のところ、ジョギングと自転車を合わせて週4回のペースをなんとか保っています。
昨日、面白いことに気づきました。
いつも近くの公園で走っています。公園までは車で行きます。
わざわざ車で行くのは、近所の人に走っているのを見られるのがイヤなのと、公園はある程度の明るさがあるので夜でも走れるし、アスファルトではないのでヒザにやさしいからです。
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駐車場に車を置いて軽くストレッチをしてから走り始めます。出発地点もゴール地点もその場所(A地点)です。最初はA地点とB地点を往復していました。その距離約3.5km。
2,3回走った後に、もう少し負荷をかけてみようと思って、折り返し地点のB地点をC地点に伸ばしました。距離は約5kmに伸びました。しばらくずっとこの区間を走っていました。
昨日、走る前に「あと1km距離を延ばしてみよう」と思いました。でもC地点は公園の終わりなので、折り返し地点を先には伸ばせません。なので、出発地点をX地点に変更することにしました。出発地点もゴール地点もX地点に変更することにしたのです。
片道で500m増えたので少し苦しくなりました。でも、往路は問題なく走ることができました。
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「復路もいつもどおり」と思っていたのですが、復路の真ん中あたりで止まってしまいました。
「もう走れない」と思っちゃいました。
苦しくなったときに、ふと、考えてしまったんです。
「いつもの場所よりも先にゴールがある。いつものゴールを通り過ぎても、さらに走り続けなければならないんだ」
そう考えたら足が止まってしまいました。
単に走る距離が伸びたから疲れただけかもしれません。
しばらく歩き続けました。歩きながら考えました。
出発地点でもあり、ゴール地点でもある、A地点は僕にとっていつの間にか重要なポイントになっていたんだな、と思いました。
うまく言えないのですが、自分の気持ちがよくわかるような気がしました。
折り返し地点は少しくらい伸びても平気だけど、ゴール地点が伸びるのはとてもツラい。
「ゴール」と決めていた地点が伸びていくのは、とてもツラいことなのだ、と気づきました。
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会社の仕事にも同じようなところがあって「ゴール」が伸びることなんてしょっちゅうです。当たり前と言っていいぐらいです。
「ゴール」だったはずのものが形を変えてしまったり、新たに大きな「ゴール」に変身したりもします。
矛盾だらけで変幻自在の「ゴール」を、意志の力で追いかけるパワーが僕にはもうありません。
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ジョギングの「ゴール」はいつものA地点に戻して、コースを工夫してみようと思います。
自分の裁量で決められることは、いくらでも自分で変更ができます。
やるかやらないかも自分で決めることができるのです。
コメント
去年の夏~秋は毎月ハーフを走っていました。往復3kmのコースを7回走り、最後に半端分を走るのですがこの半端分が辛い辛い・・。
何をやるにもゴールの直前が最もしんどいのに、そのゴールが伸びるというのは精神的ダメージが大きいですね。
prireさん、コメントありがとうございます。
そうなんです、そうなんです。その辛い気持ちすごくよくわかります。(走る距離のレベルは別としてw)
「距離が伸びればその分ツラくなるのは当たり前じゃん」と思われちゃったら悲しいな、と心配していました。prireさんのコメントで救われました。どうもありがとうございます。<(_ _)>