サラリーマンの隠れた悲劇性

渡辺淳一さんは「失楽園」を書いた作家です。
亡くなってから2年が経とうとしています。

2010年に『孤舟』という作品を書いていて、そのときのインタビュー記事を見つけたので題材にしてみました。

サラリーマンは学校を卒業してから数十年間、つまり生涯を通じて一つの仕事に取り組んだとしても、それはあくまで「会社のための仕事」をしてきたのであって、「自分のための仕事」をしていない。だからベテランになれないのです。

さらに六十歳になれば、どれほど優秀な技能を持っていようとも、全員横並びでスパッと首を切られてしまう。そして会社から追い出された後には、限りない「孤独」が待ち受けている……。

サラリーマン定年後の悲劇は「男」という性の宿命である – 中央公論.jp

会社に就職するときは、「こんな仕事がしたい」「こういう業務を遂行したい」「この職種を希望する」と考えます。
なので、「会社のための仕事」とは言いつつ、ある程度「自分がやりたい仕事の希望」は叶うこともあります。

でも、それが「自分のための仕事」か?と問われると、残念ながら「自分のための仕事」をしています、と胸を張って答えられるサラリーマンは少ないのではないかと思います。

さらに管理職になってしまえば、自分の専門性を生かすよりも、周りの人間を生かすスキルが重要視されます。
そういう意味で「ベテランになれない」という言葉はとても腑に落ちます。

定年退職した直後は、「さあこれからは自分の好きなことでもして毎日をゆっくり過ごそう」と考えます。
でもいざ、そうした生活を始めてみると、何もやることがない。

忙しいなかであれほどやりたかったゴルフも碁もまったくやる気になれない。
心のなかには、限りないむなしさが広がるばかり。

会社から追い出されるのか?会社を自分から捨てるのか?、で、心構えは大きく変わると思います。

「何もやることがない」のは、敷かれたレールを歩き続けてきて、レールを外されてしまうからです。

定年退職しても、新たにレールを継ぎ足せる人は「やることがない状態」にはならないと思います。

レールを継ぎ足せる気力・体力があるうちに、意思を持ってレールから外れるのも一つの手だと僕は考えます。

「悲劇は『男』という性の宿命」という言葉にも考えさせられます。

次回に続けます

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