死んでみせるということ

僕はこの歳になるまで、身近な人の死にゆくさまを間近で見たことがありませんでした。

呼吸の間隔がだんだんと長くなり、血圧が下がってきてしまい、脈拍が小さくなっていき、体が冷たくなっていく・・。

義父は、20人以上の家族・親戚が見守る中で息を引き取りました。

義父は僕たちに自分の死を見せてくれました。

「死んでみせてくれた」のです。

その場には、妻も長男くんも次男くんもいました。

高校生の長男くんと次男くんは、身近な人の死に初めて触れました。

2人とも涙を流していました。

血縁である義父の死に、いろいろなことを感じたと思います。

何度か書いていますが、「死」を考えることは「生」を考えることで、「よく死ぬ」ことは「よく生きる」ことだと思います。

できることならば、僕も、次の世代の人に自分の死を見せて、「死ぬってなんだろうね?」「生きるってどういうことだろうね?」と問いかけることができればいいな、と思います。

最後に「年寄りの役割」というコラムを紹介しておきます。

可能なら長く生きた知恵を活かして上手に不自由さとつき合ったり、自然に穏やかに死んでいく姿を見せたいものとは考えています。

これは「老いる姿」「死にゆく姿(最高の“遺産”)」を次世代に伝えることが年寄りに課せられた最後の大事な役割と思うからです。

人は生きてきたように死ぬのです。
今日は昨日の続きです。昨日と全く違う今日はあり得ません。
つまり、今までいい加減に生きてきた人間が、死ぬときだけきちんと、というわけにはいかないということです。
結局、大事なのは「今」なんです。
今どういう生き方をしているか。どう周囲とかかわっているか。どう医療を利用しているかが、「死」の場面に反映されるんです。

年寄りの役割 自然に穏やかに死んでいく姿見せること

早期発見が完治につながることもあるので、「健康診断には行くな」という意見には僕は反対ですが、「医療と深く関わるな」という意見には賛成です。

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