なかなかうまくいかない

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なかなかうまくいかない。

「やっぱり家族が一番なのでした。ゴメンね。」なんて、こっちが思ってても、一時は家族を放ったらかして失踪しちゃったのは事実なのだから、当然と言えば当然かもしれない。

そう簡単には戻らない。

今回の事件で、家族それぞれの心の中にあった「膿(うみ)」みたいなものを出せたのは良いことだったのかもしれない。

しかし、家族だからといって、思っていることを全てぶちまけてしまえば良いということではなく、ぶちまけられた方は、やはり傷つくし、その傷が癒えるまで時間がかかる。

また、僕みたいに感情的になってパッと家を出てしまえば、(あ、この人は簡単に人を見放すんだな)と思われても仕方がない。

離婚の危機を迎えているのかもしれない(3)の記事で、(一時的に家族の中の悪者になってみるのもいいかもしれない)と思ったことを書いたけれど、それもそんなにうまくいかず、「夫・父への不信感」を大きくしただけの気がする。

ただ、一緒に暮らすということは、関係の修復の助けになる。

朝起きて会えば、お互いに無視するわけにもいかず、「ウゥ」とか「あぁ」とか言わないワケにはいかないし、

夕食は今までの習慣上、家族そろって食べなければいけないから一緒に食べるし、そのときには「醤油とって」とか言わなければいけないし、

その人しか知らないこともあるから(本意ではないけど聞くしかないか・・)と折れて尋ねてみたり、

その人にしかできないこともあるから(本意ではないけどお願いするしかないか・・)と折れて頼みごとをしたりとかもあるし。

僕が好きな本に、内田樹さんと岡田斗司夫さん共著の「評価と贈与の経済学」という本があるんだけど、その中で内田さんはこんなことを言っていた。

観念で結ばれた関係は一夜で崩壊するけれど、起居を共にして作られた関係はなかなか崩れない。

だって、一緒に暮らしていると、喧嘩になって「出てけ」って言われても、「こんな時間に出ていけって言われても困るよ、今晩だけでも寝かしてくれよ。朝になったら出て行くから」っていうことになるでしょ。とにかくあと八時間くらいは一緒にいるしかない。

そうすると、そのうちに「オレ、ラーメン作るけど、キミも食べる?」とか「じゃあまあ、最後の晩だから一杯飲もうか」とかいう話になって、なんとなく仲直りしちゃう。

(生きていくためには、気に入らないコイツと一緒に生活するしかないのか・・)と思うことはデメリットかも知れないけど、本当は崩したくない関係を修復したいときには一緒に暮らすことがメリットかも知れないな、と思ったりもする。

まぁ、ボチボチいくしかないっす。

   
 

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