部屋でひきこもっていた子供を見て僕が考えていたこと -不登校&ひきこもりの物語 –

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長男くんの不登校とひきこもりの話、続けます。

長男くんが不調でひきこもっていたとき、僕は2つのことを考えていました。

1つは、「高校を卒業しなくたっていいじゃないか、大学に行かなくたっていいじゃないか」ということ。

もう1つは、「高校を卒業した方がいいな、大学にもできれば行ってほしいな」ということ。

彼が高校卒業も大学進学もあきらめたとして、

高校を卒業しなくても、アルバイトをしたり、働ける所に就職して、一人で生きて行くことはできます。

大学にしても、僕もそうだったけど「行った方が良さそう」くらいの理由しか無いのなら、行かなくても良い、いやむしろ、行かない方が良い、と考えることもできます。

高校を辞めて、1年くらいブラブラしてみて、「やっぱり高卒の資格がないとダメだ」と思ったら、高卒認定の試験を受ければ高卒資格を得ることができるし、「やっぱり大学に行ってみたい」と思えば、そこから勉強を始めて大学受験をすればいいのです。

でも、彼には望みがありました。

それは「仲の良い友達と一緒に高校を卒業したい」という気持ちでした。

できれば、その希望を叶えてあげたいし、叶えた方が良いだろうな、と僕は考えていました。

そして、もう一つ。

高校を卒業しなくても大学に行かなくても良いけど、彼には「楽しく生きて欲しかった」です

「行きたくなくなったから学校には行かない」

それはそれで良いのです。

でも、それと同時に自信を失って何もやる気が起きなくなって、ツラそうな毎日になってしまっては、心配になります。

中学時代や高校時代、彼の友達が我が家に来て遊んでいるとき、彼は本当に楽しそうでした。

夜中までゲラゲラ笑いながら騒いでいました。そんな生活を取り戻してほしかったし、取り戻してあげたかったです。

開き直っては欲しくなかったけれど、何ていうか、自分なりの信念を持って生きて欲しかったのです。

「オレはこういう理由で学校には行かずに生きていくんだ、文句あっかバカヤロウ」みたいな気概を持って欲しかったのです。

でも、それは今の彼には難しいんだろうなぁ、ということもわかっていました。

また、「大手を振ってダラダラできること」と「不安や罪悪感を持ちながらダラダラすること」では全く違うだろう、ということをよく考えていました。

僕も大学に行きましたが、僕の大学生活はヒドいものでした。

講義にはほとんど出ず、単位も全然取れず、かといって、バイトに精を出すわけでもなく、留年までして、5年生で50単位近くを取って、ギリギリで卒業しました。

でも、大学生活で得たものは大きかったです。

5年間(ホントは4年間だけど)という長い時間で、中学、高校で抑圧されていた気持ちを解放できたことが大きかったと思うのです。

別に大学を卒業できなくてもいいんだから、彼にも「大手を振ってダラダラできる4年間」を経験してもらいたかったです。

少し脱線しますが、これはセミリタイアにも通じる考え方だと思います。

大手を振ってダラダラできる」→「最低限の生活になるかもだけど、生きていけそうだから会社を辞めて、自由に生きる

不安や罪悪感を持ちながらダラダラする」→「将来が不安だから、会社勤めを続け、イヤイヤながら仕事をする

ちょっと違うか。

長男くんが1ヶ月学校を休んでいたとき、「何もしたくないし何も考えたくない」と言っていました。

「父は『好きなことをやればいい』と言うけど、好きなことなんてわからないし、好きなことなんか無い」とも言っていました。

それならば、得意な勉強を生かして、とりあえずでもいいから大学に行き、「何もやらないでもいい自由な時間」を手に入れてみればいいんじゃない?

その時間で、自分が何が好きなのか何がやりたくない事なのか、ゆっくり考えてみればいいじゃん?

そんなことを考えて、彼にも伝えました。

その言葉が彼に響いたのかどうかはわかりません。

「高校を卒業しなくたっていいじゃないか、大学に行かなくたっていいじゃないか」
「高校を卒業した方がいいな、大学にもできれば行ってほしいな」

この2つの気持ちが、僕の心の中でいつも揺れ動いていました。

続きます。

   
 

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